日本の農村文化 紹介センター

富山県 散居村の景色

農村部

現代は西洋社会がお手本ですから、世界の主要都市やリゾート地は既存の景観が広がります。こうした人気の観光地は、既知のスタイルが安心感を与えてくれる一方で、どこも同じような錯覚に陥ってしまうかもしれません。

そんななか、過疎の地方を訪れると、地方ごとに別世界のような雰囲気や味わいがあり、想像しない自然界が広がり、初めての景観や人々との触れ合いにワクワクすることがあります。過疎地は、忘れられた土地だからこそ数百年、あるいはそれ以上に凝縮された時間が残ります。現代の都市部とは別の文化が継承されているかもしれないと感じます。


マヤと日本の農村部

遠く離れた国の二つの農村部が、なぜ似ているのか、なぜ自然と共存しているのか?・・・。様々な同一現象の不思議に感じ入るものがあります。残念なことに、マヤでも日本でも地方には、主要都市より劣った「劣等意識」の間違った刷り込みがあるものです。ゆえに住民にとっては、積極的な開発が奨励されます。しかし農村には都市ではもう見ることが叶わない、人間本来のあり方を思い出す大切な自然がおそらくは縄文時代からかろうじて現代まで残されており、それは人間にとって、なくてはならない環境であることをもう一度再考する必要があるのではないでしょうか。自然界に触れて、改めて私達自身とその周囲を見つめなおす機会は、現代人が失いかけている精神と肉体のバランスを取り戻すことができると感じています。



農のくらし1-長持

北陸の農民古民家には、屋敷林や納屋そして小屋が敷地内に設置されています。そこには、忘れられ用途もなくなった古い木材がたくさん転がっています。薪に使われていた木材、雪囲いに使われた端材、古い机や木桶そして床材、襖扉、障子扉、長持など形も大きさもバラバラですがたくさんあります。農のくらしでは、木材は端切でも間伐材でも壊れた製品でも、どのようなものでも「宝」のように感じます。


日本古来から、どこでも当たり前のように行なわれていた自然農のくらしがありました。現代では忘れられようとしている暮らし方ですが、意識的であれば誰でも行なえるので私達も実践しています。ためしに壊れた「長持」(ながもち)(日本の農家では衣類や寝具などの収納のために木の箱を用いました)で、「キエーロ」(堆肥化するための箱)を開始してみたところ、家庭内の生ゴミがさらさらの土に分解されてゆきます。その過程では温度があがり、かき混ぜる度に土からあがってくる湯気の香りは、マヤの伝統の人々の部屋の中で嗅いだ香りとまったく同じでした。彼らもこのようにして「菌を育てて土を作っていた!」ということに改めて感じ入りました。懐かしい香りと、「壊れた長持がキエーロへ」の発想の転換に大満足し、日々土づくりに励んでいます。

農のくらし2-漆喰

農民家の壁面は外部も内部も漆喰が塗られています。伝統的な建築では、竹材を編んで壁をつくり土壁にしてから漆喰を塗るので、夏はとても涼しくクーラーがいりません。日本古来からある自然の法則に準じた技術は素晴らしいと思います。

農のくらし3-東

伝統的な北陸の農民家では東西南北の方角に意識的に家が建てられました。自然の法則に準じた本来のくらし方だと思います。東には太陽を迎える表面、主要な玄関口と大広間の開口部があります。朝、目覚めて「太陽の光を浴び1日をはじめる」そんな当たり前にして見失われつつあるくらしは、人々の心身を健康に整えるのだと感じています。