マヤの伝統文化 紹介センター

1995年、私達は長老フンバツ・メンと出会い、日本で奥義学校を開くよう打診されました。 1996年に「マヤと日本の架け橋」としてナガ・ク’奥義学校を開き、日本で小規模な活動をしながら毎年長老の元へ訪問し続けました。 その後、学校はチャン・キ’ン予備校、ナガ・ク’奥義学校、ヨク・ハーマヤ宇宙大学、イッツァムナー宇宙大学院の4つに分割しました。 さらに、一般の方が入学せずにマヤ伝統の教えに触れることができる場として、マヤの伝統文化 紹介センターを開設しました。

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私達夫婦は偶然先住民族の長老にお会いし、先住民族が持つ民間伝承について学びました。 それはいわゆる「マヤ文明」とは異なり、「マヤ先住民の口承伝承」として継承されたものでした。 口頭伝承は長い間語り継がれており、コロンブス以前からアメリカ大陸に住んでいた先住民族の文化を説明しています。 しかし、口承伝承、マヤ暦、幾何学、儀式など、現代人には馴染みのないものも多くありました。 また、現代社会の一般的な考え方は西洋文化によって作られてきたので、太陽を崇拝するマヤ文化を理解することは新しい試みであると感じました。


それでも、太陽を象徴する日の丸を見て育ち、太陽の到来に手を合わせて「お天道さま」と呼びかける老人の姿を見てきた日本人は何かが違うと思います。 だからこそ、分からないなりにも堅実に、慎重にマヤの伝統を取り扱って説明してきました。 近年、現代社会を取り巻く状況はますます複雑化していますが、長老がただ一人覚悟を持って、家系に代々伝わってきたマヤ先住民の伝統を世に明らかにしてきたように、私達もまたマヤ先住民の祖先への尊重を忘れずに確固たる信念で保持し続けています。

数十年前、長老たちによって始められたマヤ暦の開示は、世界中で驚きをもって迎えられました。 なぜなら、カレンダーは先史時代を遡ることができただけでなく、現代で使用されている暦法を根本的に再考することもできたからです。 残念なことに、先住民の民間伝承は軽視され、簡単に歪められてしまいました。

暦は、私たちが意識していなくても、人間の生活に欠かせない時間と空間、過去と未来と密接に関係しています。なぜなら、 暦は私たちの日々の方向性を決めるものであり、人間社会に大きな影響を与えていることが分かるからです。 マヤ暦を知ることで、現代の暦法を外から客観的に見ることができるようになります。 その結果、誰もが自分自身と自分の周囲を再発見します。


先住民の伝統であるマヤ暦は、自然の絶え間ない観察から生じる「自然の法則」を表しています。 だからこそ、彼らは自然環境を太陽や地球の一部であると認識し、尊重してきました。 私たちが今日のようにことさらエコロジーを重視しなければならないのは、先住民族の知恵や視点が失われつつあるからではないでしょうか。 自然を破壊するだけでなく、その一部である人間をも破壊する事態を避けるためには、私たちはマヤの伝統に立ち返り、現代を客観的に見る冷静な視点を取り戻す必要があると思います。


私たちはマヤ地域の外に暮らし、現代社会に属していますが、先住民族が太古から守り続けてきた稀有な伝統に触れることは、地球上に生きる者としてより良い生き方を見つける扉を開かせてくれると感じています。加えて、宇宙の一部である人間として成熟してゆくことができると確信しています。 このように先住民族の民間伝承を紹介する意義は、遠い過去の民間伝承が、私達現代人の向かう方向を真の意味で問う道へと押し出してくれ、現在を見つめ、その足元や頭上に広がる広大な宇宙に意識を向けさせ、さらに未来のことを考える機会を与えてくれるということです。




マヤの伝統文化を、様々なコンテンツを通じてご紹介しております。


マヤ人のくらし1-草葺き屋根

ユカタン半島のマヤの村では、現代でも草葺き屋根を用いている家が目立ちます。宿泊施設やレストランでも使われているので誰でも親しむことができます。亜熱帯の地域ですから日中は風が通れば涼しく、夜は太陽の熱がこもって快適に過ごせます。しかし考えてみれば、おそらく数千年、数万年もの間こうした自然界に同調した暮らしを継続してきたのですから、マヤ人は自然であること、自然にかえることを恐れない強い精神と肉体を持っているんだなと思います。

マヤ人のくらし2-漆喰

マヤのピラミッドの壁面は漆喰が用いられていました。漆喰はいたるところで利用されており、ピラミッドの壁面に彫刻されている象形文字ばかりではなく、ピラミッドをつなぐ聖なる白い道もまた漆喰で輝いていました。マヤ地域の石灰は焼成する必要のない特殊な石として知られており、建築、彫刻、道などいたるところに用いられていました。